1974年 神奈川県横浜市生まれ。
1992年 丸石自転車入社。
後に当時のフレーム特注課(CCT)チーフビルダー就任
1996年 鶴岡レーシング入社。
後にフレーム製造部門、チーフビルダー就任
2012年 井田製作所を開業。代表/ビルダー。
1974年 神奈川県横浜市生まれ。
1992年 丸石自転車入社。後に当時のフレーム特注課(CCT)チーフビルダー就任
1996年 鶴岡レーシング入社。後にフレーム製造部門、チーフビルダー就任
2012年 井田製作所を開業。代表/ビルダー。

1974年3月、神奈川県横浜市生まれ。趣味、自転車。 その自転車と初めて出会ったのは7歳の時。小学校の入学祝に、祖父からのプレゼントでした。大変嬉しかったのですが、気持ちの中で何かが違っていました。実はその頃、私が欲しかったのは届けられた車種ではなかったのです。 当時、世間で大ブームになっていた“スーパーカー自転車”これこそ、夢に見るほど欲しかった自転車でした。

しかし、それはすぐに実現しました。あまりの落胆ぶりを見た両親がその夢を叶えてくれたのです。天にも昇るような気持でした。私は毎日のようにその自転車を乗り回しました。あの時、この愛車と巡り会わなかったなら、私は今、この仕事をしていたでしょうか?人生というのは不思議なものです。  父の転勤で小学2年から高校時代までは栃木県真岡市に転居。現在の工房が真岡にあるのはその縁です。この時代、“自転車への興味”はますますヒートアップしました。スーパーカー自転車もさらにスピードを増すために必要のないパーツをすべて取り外し、22インチの小径ロード用自転車として長い間、愛用していました。まさに恋人のような存在でした。  中学生になって、初めて、ロードレーサー、パナソニック(PT-800)を近所の自転車屋さんで購入。高校生になってからは大胆にも、EDDY MERCKX まで手に入れ、日々、練習に励んでいました。 しかし、この頃から、自転車に対する私の興味は“乗ること”もさることながら“自転車そのもの”へと移っていきました。

1992年、(株)丸石自転車に入社。初めの配属部署は営業部。しかし、この仕事は向かないと判断されたのか、すぐに企画部へ。でも私の希望はフレームの製造部門です。 3年にわたって異動を上申し続けました。その夢叶って念願の「フレーム特注課(CCT)」に配属。オーダーフレームの製造部署です。私は飛び上がって喜びました。小学校時代に続き、またしても夢が実現したのです。 ロード、ピスト、ツーリング、スポルティーフなど毎日、時間を惜しむように様々なフレームを製作。後にチーフビルダーに就任、充実した日々を送りました。


1996年、選手が望むよいフレーム作りのためにはもっと選手と対話することが何よりも大切だと感じ、それが実現できる環境を求めて、(株)鶴岡レーシングに転職。ここでもチーフビルダーとして競輪用のフレームは勿論、カーボンフレームの製作まで16年にわたり、さらに多くの経験を積むことができました。


2012年、さらに自分の理想の自転車作りを追及するため独立。 「井田製作所」を立ち上げ、翌年1月に、公益財団法人JKAが定めた「NJS」認定登録を取得、自社ブランド「RINSEI LAB」の代表、ビルダーとして現在に至っています。

 

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